【父の日】歴史 父親像の移り変わり

父の日

みなさんのお父さんはどんなお父さんですか。

6月20日は父の日です。

お父さんのことを大好きな人、反対にお父さんなんて大嫌いという人、いろいろな思いがあると思います。

家族の形は、長い歴史の中で時代とともに変わっています。

お父さん像も時代とともに求められるものがあったようです。

父の日をきっかけにお父さん像について考えてみませんか。

 

こちらの記事では、

・父親とは

・古代における父親像

・封建制の時代における父親像

・明治時代の父親像

・戦後・昭和の父親像

・平成の父親像

についてご紹介します。

 

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父親とは

父親とは男親のことです。

「おとうさん」と言われることが一般的です。

「とうちゃん」「とうさん」「おやじ」「パパ」などと言われることもあります。

遺伝的な意味での父親であることが多いですが、社会的な父親についてもこういった呼び方をします。

 

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古代における父親像

古代では家族単位でというよりは、集落規模での生活が営まれていました。

子育ても集落全体で育てていたと考えられています。

男性は男性、女性は女性でまとまった行動をしていたようです。

男性は飢え死にすることなく食べていくために活動していました。

集落規模での生活だったため、「父親」という意識は高くなかったものと考えられています。

 

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封建制の時代における父親像

鎌倉時代以降になると、家族の中心は男性で、家長である父親が絶対であるという「家父長制度」が増えました。

集落という共同体から、自分の「家」に意識が向けられていきました。

経済や生活の基盤が「家」になったことで、「家」を存続させることに父親の意向がかなり色濃くなりました。

社会的地位が高い人ほど、「家事や育児をすることは恥ずかしいこと」という考え方を持っていたようです。

親しみをこめて「おやじ」なんて絶対に言えなそうな時代ですね。

 

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明治時代の父親像

明治維新により、新しい時代を迎えることとなりました。

儒教の教えを柱とした育児がなされたようです。

儒教では身分的秩序や権威主義が重んじられましたので、明治時代の教育を受けたお父さんは、厳格なお父さんが多かったようです。

一方で西洋の文化もかなり伝わった時代ですので、子どもに対してのびのびとした考えのお父さんもいたようです。

教育と実情がかけ離れた状況になり、求められる父親の姿が変わっていくことがわかる時代なのだそうです。

 

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戦後・昭和の父親像

戦後の高度成長期は、男性の稼ぎだけで生活することができました。

工業や商業の規模が大きくなり、稼ぐ拠点が「家」から「会社」に変わりました。

この頃、「男性は外で働き、女性は家事と育児に従事する」という性別による分業が確立しました。

この時代はこの分業が最も効率的であったようですが、父親が雇用されることで家と切り離され、家のことは母親が全てやらざるを得ない状況になりました。

家族を食べさせるお金を稼いでいる、という点において、父親の権威はまだまだ強い時代でした。

それでいて「亭主元気で留守がいい」という言葉が流行ったりしました。

 

平成の父親像

経済成長の伸びが鈍くなって賃金が上がりにくくなり、男性が外でひとりで稼ぐ時代ではなくなりました。

共働き世帯が増えて性別分業は崩壊し、家事や育児を女性と分担する男性が増えました。

子どもと関わる時間も増えたことから、育児について積極的にかかわる父親が多くなりました。

「イクメン」という言葉がはやったのも平成の父親像を表していますね。

でもまだまだ性別分業の名残は根強く、男女の賃金差も埋まってはいないのが現状です。

 

まとめ

いかがでしたか。

こちらの記事では、

・父親とは

・古代における父親像

・封建制の時代における父親像

・明治時代の父親像

・戦後・昭和の父親像

・平成の父親像

についてご紹介しました。

 

さて、令和の父親は、のちの時代でどんな父親像といわれるのでしょうか。

ウチのお父さんは「ザ・昭和の父」です。

家で会うことはほぼなく、たまに見かける姿は居間の座椅子でテレビを観ながら寝ている姿でした。

自分が社会に出て、休みの日のゴロゴロの意味がわかった気がします。

いろいろ知ることで、お父さんに感謝の気持ちを伝えようと思うようになりました。

父の日にお父さんにいろんな話を聞いてみるのも良いかもしれませんよ。

父の日がお父さんを知る機会となると良いですね。

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