お盆の法要について
お盆の法要はやるべきなのかみなさんはどう感じていますか?
私は今までにやった法事でのイメージは正直あまり覚えておらず、小さい子供の時期にやったかやらなかったか位しか残っていません。
周りの人間も「法要」って何?とか「法事」とどう違うの?とか疑問が多いところです。
そこで今回のテ―マである法要とは何なのか?なんの為にやるものなのか?
などについて詳しく説明していこうと思います。
法要と法事をやる意味とは
実際に法要と法事の違いについて調べてみました。
法要とは住職(お坊さん)を呼んでお経を唱えてもらうことを示しているようです。
法事とは法要の後で「食事」も含まれている供養のことを言うそうです。
やることは同じだけれども食事が付くのと付かないのでは呼び方が変わってしまうようです。
家族や親族、知人がしっかり冥福を祈り供養をすれば、なんと故人は良い報いが受けられるようになるそうなのです。
実のところ、故人の功績だけでは仏の世界へたどりつくには困難なのだそうで、だからこそ皆の力を借りて法要を行ってしっかりと供養を行ってもらう必要があります。
そしてさらに追善供養として「食事」を振る舞う行為はとても良い評価に加算され極楽浄土の境地へ近づける(つまりは法要よりも法事のほうがより良い)事になるので、皆さん法要、法事は故人を救う重大行事であり、やるとやらないとでは結果は大きく変わることを理解してもらいたいです。
本当かどうかはわかりませんが本当にそうなら心からお祈りしたいですよね。
来世にはどんな道が存在する?
みなさん1度は思ったことありませんか?
人は死んでしまったとき天国にいけるのか、地獄に行ってしまうのか。
他の言い伝えではそんなに単純な選択ではないことがわかりました。
これは仏説ですが、人は死んだらまず皆さんよく聞く「冥土」(めいど)の世界に行きます。
冥府(めいふ)ともいいますね。
ここはまだ天国でも地獄でもない世界であり、亡くなってから四十九日の間に生まれ変わる場所の決まっていない状態のときにいる世界だそうです。
ここは何があるともはっきりしない暗黒の世界であり、他にも黄泉の国とも呼ばれるそうです。
四十九日間待機をさせられてその間に6つの世界のどれかに選別されることになるとされています。
なんか待っているだけでそわそわしますね。
人間は死んだらすべて「無」という考えの人が多いと思います。
どれに行くかは生前の行いによって決まっていきますのでよく確認しておきましょう。
天道
この世界に行く人の特徴は、生前に良い行いを沢山していた人が行く世界のことで、世間的には天国のことをいっているのだと思われます。
苦しみなどは恐らくない世界だそうですが、「煩悩」からは逃れられない世界なのだそうです。
みなさんの思っている天国ではないと思います。
人間道
ここは私たちが今生きている世界の事を言っているそうです。
生まれ変わりの人生を歩める世界ということになります。
もう一度生まれ変われるなら人間がいいなと思いますが、しかし人間だけに転生できるというわけではないの何とも言えませんね。
ここでの苦しみとは「生まれること」、「死ぬこと」や「年を取り老いること」、「病気になること」の4つの苦しみを表しているようです。
生きていくことも苦しみになるそうですので4つの苦しみから逃れられない世界のことを表しています。
修羅道
ここからはいいとは言えない話になります。
まさに文字のごとく「修羅の道」ということです。
阿修羅とは、鬼神、腕が8本あって超戦いが好きな悪魔のことを言います。
この世界に行くと怒りに我を忘れてしまう「バーサーカー」のような状態になってしまい、ひたすらに阿修羅とともに戦いを繰り返す世界のことだそうです。
猜疑や嫉妬、執着心が強い人が行きやすいとのことです。
醜い争いをしていきそうな場所です。
畜生道
この世界は生前に悪いことをしてきた人が、醜い獣の姿となってしまい、知性というものが無くなり本能のみで生きる世界のことです。
私たちが生きているこの世界「人間道」と場所は同じですが、人間以外の何かの動物、生物として生きる世界のことです。
特徴として、生前に目標を達成出来ないまま死んでしまったり、恨みを訴えようとして死んでしまった人が陥る世界なんだそうです。
つまりはやりのこした人間が行きやすいということですね。
この世界に行きたくない方は死ぬ前にやり残すことの無いようにしないといけませんね。
餓鬼道
餓鬼道とは地獄の世界の一つで、特に物欲や食欲がとても強い人間が墜ちるところであり、その姿も餓鬼という鬼の姿に変わってしまいます。
喉もとても細くなり、食べ物が通らず水も満足に飲めないとても苦しい世界です。
この餓鬼道に墜ちてしまった母を助けるために、お釈迦様の弟子の一人の「目連尊者」はお盆という餓鬼道に墜ちたものを供養する風習を最初に行った人物なのです。
地獄道
そして皆さんご存じ生前で最も悪行を重ねた人間が行きつく道それが地獄道です。
説明の必要はないと思いますが、あらゆる苦しみが待っている一番辛い世界です。
今まで説明してきた6つの世界を「六道」と呼ばれ、先程説明した冥土の四十九日間で閻魔大王がどの世界に生まれ変わらせるかをジャッジします。
その判断内容は生前の善い行い、悪い行い、親族や知人がその人を想ってどれだけ供養してくれるかによって決まります。
悪い行いが多かったり、親族や知人が供養をしてくれていないと、地獄道へ行きやすくなってしまいます。
そうして六道の世界を生きて死んでの繰り返し巡ることを「六道輪廻」といいます。
つまりは苦しみの永遠ループ状態に陥ってしまうことになります。
生きるのは苦しい事というのがなんだか解ってきました。
「六道輪廻」から解き放たれた「極楽浄土」の世界
仏と共に暮らせる苦しみの無い世界で、まさに天国と呼ぶにふさわしい世界です。
しかしそこに行く為にはいくつか条件というものがあります。
それは、
人を殺してはならない
盗みをはたらいてはならない
嘘をつかないこと
悪口をいってはならない
酒を飲んではならない
これは仏の教えである「五戒」(ごかい)というもので、これを守り続けなければ行けないようです。
達成できる人は殆どいないでしょう。
だから法要や法事は、故人を救うためにもやらなければならない大切な行事なのです。
まとめ
いかがでしたか?私自身今までお盆の法要、法事に意味はないかなと思っていたほうでしたが、大間違いであることと、とても罰当たりな行為をしていたんだという愚かさに気づかされた次第であります。
我々生きている人間の力や供養をすることで、故人がどれだけの来世への功績を上げる事ができる重要性を知ることが出来ました。
法要をやるなら、より良い食事付きの法事のほうが、質の良い供養となる事がわかりました。
私や皆さんも、今からでも一日一日を意味のある充実した生活をおくり、「五戒」をなるべく守り(お酒等は無理かも知れませんが)仏の教えに沿って生きられたら来世での評価も変わってくると思います。
人付き合いもとても大切であり、身内や親しい人の法事には必ず供養に出かけましょう!
そしていつか訪れる自分の死の場面でも、周りにしっかり法要、法事、供養をしてもらえるような人間でありたいですね。
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