節分を毎年迎えるわけですが、どのような意味を持っているのか、いつごろから始まったのかという歴史や由来について、あなたは知っているでしょうか?
一般的には、「鬼は外、福は内」と声を出しながら福豆をまいて、年齢の数だけ豆を食べたり、今や全国いろいろなところで販売されていて、たくさんの種類のある恵方巻を福のある方角を向いて食べ比べてみたりする日というイメージが定着しているのではないでしょうか。
このように、節分には豆まきや恵方巻という考え方が定着していくには、どのような歴史があったのでしょうか。またこれらの由来はどのようになっているのでしょうか。
この記事では、節分という季節行事の由来や歴史を詳しく掘り下げていきます。
節分という行事がどのような由来で行われるようになり、どのような歴史をたどっているのかということを明らかにしていきます。
さらに、節分といえばだれもがイメージする豆まきや恵方巻という定番の食べ物についても説明していきます。
こうした節分の定番の食べ物がどのような由来で食べられるようになり、どのようにして一般に定着していったのかという歴史についても明らかにしていきます。
最後までお読みいただけるとうれしいです。
節分の由来と歴史
2月3日が「節分」といわれています。節分とは本来、「季節を分ける」つまり季節が移り変わる節日を指し、立春・立夏・立秋・立冬という日の前の日にあるものでした。
ところが、日本では立春は1年のはじまりとして、とくに尊ばれたため、次第に節分といえば春の節分のみのことを呼ぶようになっていったと考えられます。
立春を1年のはじまりである新年と考えれば、節分は大晦日にあたります。平安時代の宮中では、大晦日に陰陽師らによって旧年の厄や災難を祓い清める「追儺(ついな)」の行事が行われていました。室町時代以降は豆をまいて悪鬼を追い出す行事へとつながっていって一般にも広まっていきました。当事は豆ではなくお米をまいたとされており、病気などの厄災を追い払っていて、その習慣が現代でも続いています。
豆まきの由来と歴史
節分には豆をまきますが、これは中国から伝わったものと考えられています。豆は「魔滅(まめ)」に通じ、健康に何事もなく過ごせるように祈る意味があります。
昔、京都の鞍馬に鬼が出たとき、毘沙門天のお告げによって大豆を鬼の目に投げつけたところ、鬼を退治できたという話が残っており、「魔の目(魔目=まめ)」に豆を投げつけて「魔を滅する(魔滅=まめ)」に通じるということです。
豆まきは一般的に、一家の主人あるいは「年男」(その年の干支生まれの人)がするものでした。家族は自分の年齢に合わせて豆を食すると健康でいられるとされています。
豆まきの豆は炒り豆である必要があります。なぜなら、生の豆を使うと拾い忘れた豆から芽が出てしまうと縁起が良くないからです。「炒る」は「射る」ということに通じ、そして最後は、豆を人間が食べてしまうことにより、鬼を退治した、ということになるわけです。
恵方巻の由来と歴史
恵方巻きは、江戸から明治期にかけての大阪の花街で節分を祝うときに、商売繁盛を祈ったりしたのに始まったといわれています。花街で商人や、芸子たちが節分に芸遊びをしながら商売繁盛を祈り、食べていました。名前も「丸かぶり寿司」や「太巻き寿司」と呼ばれることが多かったようです。
「丸かぶり寿司」も「太巻き寿司」も七福にちなんで、7つの具を入れて巻くので、7つの具を入れるのが基本になったようです。
1989年に、某コンビニエンスチェーンが広島県で太巻きを売り始めました。そこでは、売り出す時に、「恵方巻き」という名称にして、売り出したというのが、恵方巻きという呼称の起源であるという説が有力です。
その後、またたく間に恵方巻きは全国に広まっていき、コンビニエンスストアだけではなく、デパートやスーパーマーケットでも売り出されるようになりました。また、現在では、購入するのではなく自分で作って恵方巻きを食べる人も増加していて、これからもいろいろな種類の恵方巻きやアレンジしたものが出てきそうです。
まとめ
節分は、豆まきをして恵方巻きを食べる日、というわけではなく、古くから言い伝えのある意味や願いが込められています。
ぜひこの機会に節分の由来や歴史について改めて確認して、文化を伝えながら、家族の健康と幸せを願いましょう。
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